その時、自分が今迄にどれ程酷い言葉を彼に投げつけていたのかを知った。勿論俺は、彼がそうなってしまえば良いと本気で思っていた事は一度だってないし、実際そうなってしまった時の事など微塵も考えてはいなかったので、その言葉が持つ意味も何もかもを、それが齎す物を、何一つ知らなかったのだろう。つまりは、浅はかだった。
ディーノは死んだ(事故死か、それを装った暗殺だった)。


息をしないディーノの前に立った時、何か堪えようの無い喪失感が内臓を抉って、圧迫された眼球の奥から、どっと涙が溢れた。両手で顔を覆って、その場にしゃがみ込んだ俺を、誰かの手が支える。多分、10代目だ(獄寺君、と哀しげな声が呟いたのが聞こえた)。恐れ多い、と思いながら、俺は気丈には振舞えない。10代目や、山本や、ロマーリオの様に、泣きながらでも、そうでなくても、地面にきちんと足をつけて立っていられない。深すぎる後悔は、俺の脚から、ごっそりと骨を抜き取ってしまったようだ。涙が止まらない(滂沱、という表現は、きっとこういう時に使うのだろう)。蹲った俺の前、棺の中の男の事を思うと、如何しようも無い(悪かった、そればかりが渦を巻いて)。
それは、酷い言葉だった。言ってはいけない言葉だった。自分が好きになって、そして、自分を好きだと言ってくれた人間に対して絶対に言ってはいけない言葉を、俺は日常において多く投げた。それが例えただの戯れでも、不器用な照れ隠しでも、他のどんな理由があったにしても、言ってはいけない言葉だったのだ、あれはきっと。
後悔も涙も一向に止まらず、小さく鼻を啜った時、「如何して泣いたら鼻水が出るんだろうなぁ」と、テレビで何かのドキュメンタリィ番組を見ていたディーノが口にしていたのを思い出して、余計に涙腺が緩む。とうとう地面に膝をついてしまう。
もうディーノは笑わない。泣きもしないし、そうして鼻水だって垂らさない。俺が泣き崩れても、かつて幾度となく伸ばされた温かい腕は、もう二度と俺には触れない。
そういう事だ。そういう事だったのだ、死ぬ、というのは。
(あぁ、ディーノ。死ね、なんて言って悪かった。あれ、全部嘘だ。なぁ、ディーノ、聞こえてる?)

そうして一人の男が死ぬ時、

2007.1.14   上 au.舞流紆

その言葉の重さに漸く気が付く。



























SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送