呆れる程広い部屋に、わんわんと音が跳ね返り、跳ね返っては鼓膜に砕ける。気持ちが悪い。
クラシックをここまで大音量で聞く事になんの意味があるのか。気分を落ち着けて楽しむのがクラシックではなかったか。思ったが、それどころじゃあない。気持ちが悪い。幾らかが、音の集団になりつつある。
向かいの椅子に腰掛けた小さな影に、顔を顰めてみせる。

「これは教育だぞ」

途端返る言葉は、乱雑に整列した音に紛れていた。親父が呼び寄せたらしい家庭教師は、そのように口にする。ヒステリックなヴァイオリンの高音が、脳を揺さぶる。もう少しで脳髄からおかしな液でも出てきてしまうかもしれない。気持ちが悪い。
足元にはカントに始まり、ヘーゲルやマルクス、シェイクスピアにアリストテレスまで、ありとあらゆる本が散乱している。一体何処の世界にクラシックとマルクスだとかを並べる教育があるだろう。もし仮にインドにそういう授業があるのだとしたら、インド人とは絶対に友達になりたくない。そう思う程度には、苦痛だ。
俺はもう一度しかめっ面を作って、家庭教師を眺めたが、当の家庭教師は目を開けたまま寝ていた。信じられない(この大音響の中で寝るなんて)。果たして、これはそういう教育なのだろうか。
試しに寝てみようかと思い立った傍から、耳を粉々に砕くようなトランペットに思わず肩を竦める(クラリネットはまだマシだ。ウシの鳴声みたいな音がするけれど)。
いい加減に、限界だ。気持ちが悪い。倒れてしまいたい。或いは、耳を取ることが出来たら。
本当に脳髄に支障を来すと思われたその瞬間、煩わしく耳を塞いでいた大音量がふつりと途絶えた(いきなり如何したんだ。これは奇跡か。けれど、唐突すぎて耳鳴りがする)。
家庭教師に目をやると、そいつはにやりと笑って(いや、いつも笑っているような気もするが)、

「目、覚めたみたいだな」

普段となんら変わらない口調で言った。
如何やらまた性質の悪い"授業"を受けさせられてしまったらしい。ようするにこのクラシック鑑賞は俺の目覚ましで、この家庭教師は時たまこういった意味の無い授業をするのだ(まぁ、今回に関しては昨日の勉強中に舟をこいだ俺も悪いのかもしれない)。
耳の奥では、ヴァイオリンが途切れずに悲鳴をあげ続けている。


無音旋律

2006.12.7   上
2008.6.6    加筆修正 au.舞流紆




























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