背を凭せ掛けた大木の梢では初夏の葉先が幾重にも重なって、蒼い蒼い蔭を落としている。その葉の間の小さな隙間から、やはり小さな、けれど沢山の木漏れ日が落ちて、まるで発光する鼠がそこらじゅうをちょろちょろと走り回っている様に見えた。

「ヘンゼルとグレーテルだ」

俺がそう呟くと、腕の中にいる少年がその翠色の瞳を不思議そうに瞬かせたので、もう一度繰り返す。

「ヘンゼルとグレーテルみたいだ、俺達、まるで」

先程よりは解り易く砕いたつもりだったが、どうにも伝わらなかったようで(俺は昔から何かを人に説明する、という行為が大の苦手で、死ぬ程不得意だった)、丸い大きな目はぱちぱちと音がしそうな様子で開いたり閉じたりした。ぼんやりとした灰色をした細い睫毛が、蝶の翅の様に動くのが面白い。
幾つか年下の少年はその薄っぺらで小さな背を俺に預けて、顔だけ捻った状態で此方を見上げている。それが酷くあどけなく見えて、俺は両手を彼の胸の前で交差させて抱き寄せ、灰色の柔らかな頭頂部に顎を静かに乗せた。先程の俺の言葉についてまだ考えているらしい少年が、わかんないよ、と、拗ねた様に唇を尖らせる。俺に骨の浮いた背中を押し付ける。
本当はあまり他人との接触を好まない少年は、名前をハヤトといって、父親筋の知人の息子だ。俺の父親は今時マフィアなどという物騒にして古典的な職業を生業にしているので、勿論、その知人の息子であるハヤトもマフィアの息子だった。所属するファミリーは別だが、昔、仕事上で縁があったというその知人は、夏には家族を連れて俺の家の持つ避暑地へ来る事が間々在るので、そうやって俺とハヤトは出会い、今では家族に似た扱いをお互いにする。年が離れている分、そして一人っ子の俺には、この少年がまるで弟の様に見えて、可愛くて仕方が無いのは言うまでも無い。

「ディーノ」

憮然とした表情で、ハヤトが俺の名前を呼ぶので、白い顔を覗き込む。
わかんないよ。
ハヤトはその表情のまま、もう一度そう言った。問題の徹底的な解決を求める時、ハヤトはこういった物言いをする。
俺は手で雑に自分の髪を掻き回した。説明は苦手だ(多分、ハヤトの方が上手いんじゃないだろうか)。しかし、翠色の目がじっと此方を見ているので、考えながら話し始める。

「ええと…、此処は森だ」
「知ってるよ」
「それで、子供が二人いて…まぁ、二人とも男の子だけど…とにかく子供が二人いて…お菓子と魔女が出てきて、だからヘンゼルとグレーテルなんだ、と思って」

解るか、ハヤト?
尋ねると、灰色の頭は俺の期待とは全く違う風に動いた(ようするに、垂直方向でなく、並行方向に振られたのだった)。

「魔女は誰?お菓子って何?」

投げかけられる質問の内容こそ無邪気だが、声は多少苛付いているような気がする。

「魔女はビアンキ、お菓子はビアンキが作った…あー…クッキー…に似てる物」

なるべく早口で答えると、ハヤトは漸く納得したようで、「うぇっ」と唸った後、「説明、ヘタクソだ」と非難する様な目で俺を見た(俺は当然悲しくなる)。
ビアンキというのはハヤトの姉で、物凄い美少女だったけれど、それと同じくらいに物凄く料理の腕に問題があって、それの倍くらいは物凄く変わった(良く言えば"ミステリアスな")性格をしていた。彼女が作ったものは菓子だろうが料理だろうが、皆可笑しな効果を持つ、しかもとんでもなく不味いものばかりで、俺もハヤトもその最たる犠牲者だった。特にハヤトなんかは心的外傷の度合いが酷く、ビアンキの顔を見ただけで腹痛を覚える始末だ(俺はその症状に密かに"ビアンキ症候群"という名前を付けている)。
そのビアンキが「焼き立てを召し上がれ」などと不吉な事を言いながら、得体の知れない紫色のネバネバした物体(彼女曰く"クッキー")を手に追って来たのが先程の話で、俺達は文字通り"命からがら"森の中へと逃げ込んだのだった。そうして一心地ついた所で、これはなんとなくヘンゼルとグレーテルに似てるぞ、と考え、今に至る(主に魔女に殺されかかるところやなんかが)。
ハヤトはやおら立ち上がると、腰に手を当てる所謂お説教のポーズを作って、項垂れる俺に猶も追い討ちをかけた。

「そもそも、全然ヘンゼルとグレーテルじゃないよ」
「そうかぁ?」
「だって、お菓子と魔女は最初から出て来ないし、お菓子は美味しくなきゃ駄目だ」
「んー…まぁ、そうだけど」
「それに、迷子になってない」

そう言うと、小さな身体は身軽に大木をよじ登り、太く張り出した枝に腰掛けた(其処は俺が昔昼寝に常用していた場所で、今ではハヤトのお気に入りの場所のようだった)。
「落ちるなよ」と見上げると、「ディーノみたいにへなちょこじゃないから落ちないよ」と冗談とも本気ともつかない言葉を投げてくる。
幼い子供は皆生意気で、偉そうで、鼻持ちならない。ここは意趣返しといくのも悪くは無いだろう。瞬時に思いついた謀略は、口から出任せを吐き出す。

「ビ、ビアンキ!!」
「うえっ!?」

俺の悲鳴に、ハヤトはカエルが潰れた様な声を上げると、バランスを崩して枝から滑るように落ちた。落ちたが、地面には衝突しない。俺の腕はしっかり小さな身体を抱き留める。
ハヤトが恐る恐るといった様子で目を開く。辺りを見回す。警戒心の強い小動物に似たような表情をする彼に、俺は笑う。

「騙されるなよ」

すると、ハヤトはぐっと唇を噛んだ後、俺の首にぎゅっとしがみ付いて、「嘘つく方が悪い」と呟いた。その身体は微かに震えている(一体、木から落ちる恐怖と、ビアンキに対する恐怖と、果たしてどちらが原因だろうか)。どうやら少しやりすぎたらしい。
「悪かった」との俺の謝罪には、背中を握り拳で叩く返事が答える。わざと可笑しな声で「痛い!」と根を上げてみせると、漸く翠の目が俺を見て、「痛くしたんだから当たり前だ」と言った。
日の光に反射して銀色に見える髪に、軽くキスをする。抱き留めたままの身体は、まだ少し震えている。
幼い子供は皆生意気で、偉そうで、鼻持ちならないけれど、臆病で、可愛い生き物だ。
そろそろ帰ろう、と口にすると、その愛らしい小さな生き物は、夜道を恐れるグレーテルの様に俺の手を無言で握り締める。俺は、魔女が出てきたら絶対に二人で逃げ切ろう、と心に決める(立ち向かいはしない。勝てる自身がないから)。

賢く浅はかな二人の憂鬱な午後

2007.1.20   上 au.舞流紆
年末辺りにアンケートで"幼馴染パラレル"と仰ってくれた貴方へ。


























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