ディーノという男は、基本的に育ちが良かった。ついでに言うなら、俺も育ちは良かった(この場合、生活環境については全くの別問題だ)。なので、連れて行かれた店の"いかにも"といった佇まいだとか、躾の行き届いたウェイターなんかに気後れする、という事は断じてなかったが、それでも一言くらいは言っておきたかった。

「…なんで、こんな畏まった店なんだっつの」
「まぁ、たまには良いだろ」

小声の抗議をディーノは軽くかわして、俺の背の下方にさり気なく手を添えて歩く。まるで、女をエスコートするみたいだ(流石に店内で舌打ちは出来ない)。
クロークにコートを預け、当たり前の様に引かれた椅子に腰掛ける。
慣れた風に注文をするディーノは、まるで知らない大人の様で、何処か落ち着かない気分になる。多分、彼が普段は滅多に袖を通さない、礼服を多少簡略化した物を着ているのも原因の一つだ。どちらかといえば薄暗い照明の下で、漆黒の布地は濡れた様に重く艶やかに光る。俺の身体を包む服も、似た様な光沢を放っている(勿論、質は向こうの方が上だ)。
ややあって運ばれてきたアンティパストに、ゆっくりと手をつけ始めた。食材はいずれも一級品のようで、味もなかなかだ。ワインも悪くない。目の前の男を見ると、彼は真面目くさった表情で皿と向かい合っている。
以前からディーノには自分の育ちが良い事を疎ましく思う節があって、そのせいか、彼は多少崩れた食事の仕方をする。けれど、俺に言わせて貰えば、そんなものは全くの逆効果だった。
自分の育ちをさも悪く見せたいなら、もっと背筋を丸めるべきだ。出来れば、ナイフとフォークの音も多少はさせておき、食べ終えたら皿の上にぞんざいに投げ出しておいた方が良い。なにより、その無意識にナプキンで口を拭う仕草が致命的だ。優雅すぎる。意識して崩している仕草は、むしろ其処此処に品格か特有のオーラのようなものを滲ませ、彼の風貌と相俟って、全くと言っていいくらいにノーブルだった。幼少期から叩き込まれたテーブルマナーの一切合財は、こういった風に終生付き纏うのだ(俺にも同様に)。ある種のレッテルに似ている。
メインも終盤に差し掛かった頃、黙りこくっていたディーノが苦笑に近い笑みを浮かべた。

「お前、こういう店で"美味い"て顔、しないんだな」

俺とおんなじ。
そう言って細められたアンバーの瞳は哀しくなるくらいに穏やかで、俺は溢れそうになった何かを、ワインで身体の奥深くに押し流す。先程まではよく冷えていて、仄かに甘い飲み口だったそれが、今では何処と無く苦い様に感じて、けれど、俺は顔を顰められない(何故って、此処がそういう場所だからだ)。
早くあの狭苦しいアパートに帰って、買い置きしておいた特売品のパンナコッタが食べたい。
唐突に思い、それを正直に口に出すと、男は「じゃあ、ドルチェはパスな」と甘く笑った。

礼賛の食卓
(或いは、贅沢なドルチェ)

2007.12.26   上 au.舞流紆
そういえば、二人ともお坊ちゃまだ、という話。




























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