彼と話す時には大抵、カン、という音が一つはするものだった。煙管の火皿に燃え残った灰を莨盆に落とす音だ。彼が刻莨をやり始めた時から愛用しているという、銀で出来た延煙管の雁首と、盆の金気の部分が触れ合った時の音は甲高かったが、耳につくわけではなかった。
「此れの良さがわかんねえ内は、まだガキだって事だろ」
試しに一服吸っただけで咳き込んだ俺に、彼が言った言葉だ。
その言葉の通り、あの頃の俺はそれは未熟な童子のようなものであって、それはきっと、今でも変わらないのだと思う。
長年の持ち主を病で亡くしてしまった煙管を、その持ち主の家臣に託された俺は、その吸い方の手順すら知らない。昔、彼が吸っていた頃の、その動作を思い起こそうにも、それが出来ない。
彼が縁側の、俺の隣に腰掛けて、ゆっくりと燻らせている姿は思い浮かべられるのだ。
煙管の手入れをする彼の指の、その爪が日の光に淡く反射していた事も思い浮かべられるのだ。
彼が苛ついている時には、吸口を噛む癖があるのだという事も。
そのような場面は事細かに思い返す事が出来るのに、ただ、その一連の動作だけがすっぽりと抜けてしまっている。或いは、断片になってしまっている。
恐らくは、俺の記憶の中の、一番綺麗な部分だけが残っているのだ。
結局、部下である忍に教えを請うて、漸く彼の形見である銀の延煙管の火皿を燻らせた。
記憶の中の彼が、一気に吸い込むもんじゃあねぇよ、と言うので、それに従って、ゆうるりと呑む。
空を舞い踊る連雀の彫りの入った京煙管(彼は粋なものを好んだのだ)の細い吸口から流れ込む、濃厚な刻莨の芳香。
昔と違って、咳き込む事はしなかったが、その苦味に、ただ、涙が出そうだった。
薄靄の様な煙の向こうで、彼の人が、まだガキだな、と笑った。

紫煙の向こう

2006.9.9   上
2006.12.25  加筆修正 (※暗薄雑多
100No.40) au.舞流紆























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