俺がその言葉を口に出した途端、彼は俺の手の上に乗っていた箱を叩き落した。箱はそう丈夫でも無い木製で、しかも中身は割れ物だった故に、間仕切りの柱に勢い良く叩きつけられたそれらは粉々になってしまった。 思いもよらぬその行動に、俺はただただ呆然としていて、彼は空中の一点を見詰めたまま、肩で息をしていた。人払いをしてあったので、恐らく人は来ないだろう。誰の足音も近づく気配はなかった(佐助の気配もだ)。 「…政宗殿?」 俺の声に、彼はその独眼を忌々しげに眇める。 「…悪ぃ」 そう漏らしたかと思うと、常ならば刀を握る、その無骨な指が散らばった木片とギヤマンの欠片とを拾い始めた。彼一人に拾わせるのは悪いと思い(なにしろ欠片は大量だった)、俺も屈み込んで手を伸ばす。 暫く、二人で破片を拾った。箱の中に敷いていた絹の上に、煤を被ったような茶色の木屑と、さめる様な瑠璃色をしたギヤマンとが小山を作っていく。 彼の貌は、鳶色の前髪が邪魔をして窺い知る事が出来ない。それ故に、なんと声をかけて良いのかも解らない。それ以前に、俺が此処に留まっていて良いのかすら。逡巡する俺に、彼が静かに言葉を落とした。 「いつも、毒を塗ってやがったんだ」 俺が顔を上げると、彼は大方拾い終えたギヤマンの屑を眺めていた。表情は無い。言葉は続く。 「差し出される物には、いつも毒が塗ってあった。俺はその頃ガキだったが、生憎とそんなのに気が付かねぇほど莫迦じゃあなかった」 でもよ、あいつら、なんにでも塗りやがるんだ。皿なら解るが、筆や硯にまで塗ってやがった。よっぽど俺を殺したかったんだろうが、莫迦にもほどがあるだろ。硯なんか舐めねぇのによ。そのせいで飼ってた猫が死んで、俺はそれで初めて硯にまで毒が塗ってあった事を知ったんだぜ。とんだ笑い話だ。 彼はそこで一端言葉を切って、その通りに笑おうとしたようだった。しかし、唇は可笑しな形に歪んだだけで、声も到底笑い声と呼べるようなものではなかった。何処か虚ろな、擦り切れて掠れた声だった。 俺は息を詰め、彼は浅く息を吐く。 「俺は家督継いだら真っ先にあいつらの首を飛ばしてやろうと思って、毎年元服が近づくのが嬉しかった。なのに、あいつらときたら、その誕生祝いにまで俺に物を贈りつけやがる」 勿論毒付きだぜ、よく飽きねぇよな。おかげで今じゃ、誕生祝いだとか御生誕だとか、そんな単語聞くだけで条件反射で手が出ちまう。 彼は今度こそ笑い声を上げた。俺は笑えなかった。 「政宗ど、」 「それを言い訳にするわけじゃねえ。…ただ、アンタに物貰うのが嫌だとか、そういう事じゃねぇんだ。俺が言いてぇのはそれだけだ」 Thanx、幸村。悪かったな。 鳶色の目がいつになく静かに笑み、俺は何と返して良いのか解らずに、畳の目を数えていた。 彼の指は、またギヤマンの欠片を拾い始めている。もとは一対の盃だった青い青い欠片は、日の光の下で柔らかく澄んだ色をした光を振り撒き、ただ、俺は彼と酒を酌み交わせなくなった事が残念で、そして、彼が先程のようにたった一言の為に腕を振り上げて、そうして傷付くのが堪らなく哀しかった。 押し黙る事しかできずにいる俺に、彼が「アンタはすぐ他人の事で凹みやがる」と笑う。俺の髪を乱暴に掻き回す。 俺は彼がそうやって笑うのが哀しくて仕方が無くて、涙を流してしまいそうだったが、それだけは堪えようと思った。きっと、そんな俺を見て、彼はまた笑うに違いないのだ。 「此れ、俺が貰って構わねぇんだろ?」 白絹に包んだ瑠璃の欠片と木屑を持ち上げて、彼が言う。 俺は額を畳につけて、一言返す事しか出来なかった。 「おめでとう御座いまする」 先程の様に"御生誕"、とは、その言葉頭にはとてもではないが付ける気分にはなれない。 それに応えるように、俺の肩に触れた指先が宥める風に髪を梳いて、俺はただ、涙を堪えるのに必死だった(たとえどれ程に涙を灌いでも、それは玻璃の美しさは持たぬだろうから)。 欠片の瑠璃、玻璃の泪 2006.8.3 上 2006.12.19 加筆修正 au.舞流紆 伊達公生誕記念。 |
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