それは奇妙な所から現われた。
古い書物にぽつりと開いた虫食いの穴から、眼が覗いている。青鈍色をした眼だ。一つしかない。動きもしない。濁ってはいなかったが、光っているわけでもなかった。
己が幾度か瞬きをすると、その眼は初めから存在しなかったかのように失せてしまう。息を吐き、書物の文字を只管に追う。すると、今度はそれを留めている紐の、その捩くれた隙間から、あの青鈍色が見えた。目を一度逸らし、そして戻すと、眼はまたもや失せている。かと思うと、手元の硯から小さな腕が生えている。墨から生えているのだからして、墨色の腕だ。動くことはない。槍ばかり振り回していたが故に、こぶのようになった筋肉が縒って出来ているようにも見える。
もう随分と前に手ずから葬った男は、それ以来、こうして色々なところへ現われるのだ。
猫や鳥の姿を借りている時もある。文机の縁へ目から上だけを出して、此方を眺めもする。戦場で土中より足を引かれたのは片手では足りない数にもなっていたし、ある時などは餅の中に入り込んでいた事もあった。
煩わしい。思いこそすれ、どうこうしようというつもりもない。何しろ、術を知らぬし、それは己にしか見えぬものであるらしかった。
瞬きをすると硯に在った腕は消え、肩へ軽い物が触れる。手だ。手首から先、即ち腕はない。墨色でもなかった(当たり前の事だった、墨から生えてはいないのだ)。
「アンタ、まだ、もがいているのかい」
耳元で男は言う。耳慣れた嗄れ声だ。初めの頃はじっとりと此方を窺うだけだったそれが喋るようになってから、幾度も年が巡っている。
「痴れた事を、」
もがいているのは貴様の方ではないのか。
返せば、男は喉だけで笑った。
ああそうかもな、俺かもしれねえ。だがきっと、アンタの方がもがいているぜ。
そう言うと、性懲りもなく名などを呼ばわるので、失せよ、と肩の手を払う。枯れ葉の上の朝露が弾けるように、それは消え失せる。かつて閨で交わされたものに似た響きに、腑が蠢いている。
後には、ただ、物悲しさだけが残っていた(だが、明日にはまた何処ぞへ腕が生え、眼が開き、あの声がするに違いないのだ。そうしてまた、それだけが、)

浅茅ヶ原

2008.2.6   上 au.舞流紆
「〜凡狼〜」の稲夜様へ。沢山の感謝を込めて。
※お持ち帰り等を始めとする個人の範囲内での複製は稲夜様にのみ許可しております




















SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送