思い返せば、真田幸村という武人は桜の様な男だった。
彼の生き様は誰の目にも華やいで、美しかった。散り際さえ(いっそ散る為に咲いたと言っても良い程だと、彼を斬った時に思った)。
橋の欄干にまで張り出した古木の枝は、柔くも透ける花弁を零れんばかりに湛えていて、手を伸べれば直ぐに指へと触れた。ひいやりとした、花の温度。けれど、以前この指の先に馴染んだ肌は滾る様に熱かったか、そうでなければ、日溜りの様な温みであったように思う。随分と昔の事であったので、記憶は既に朧気だったが、表面の滑らかさは何処となく似ているようにも感じた。
風に攫われた桜花の幾片もが、川面へと音も無く張り付いていく。流れのままに揺れる。ささめく梢の清しい香りに、薄く目を細める。
銀に光る水輪の間、薄紅の花弁の下には、恐らくあの日の俺の死骸が在って、それは未だ彼を探して惑い、彷徨っているのだろう。

散華、残香

2007.3.19   上 (※BASARA祭春の陣 花卉ノ宴 掲載、暗薄雑多
100 No56) au.舞流紆
伊達公は別に死んでる訳ではありません。



























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