ディーノと話す時の話題は極めて雑多だった。
音楽や政治、科学、昨日の晩飯が美味かった事。そういった互いの目で見たものや耳で聞いたもの、感じた事に留まらず、くだらない空想に耽ったり、妙な理論を展開したりもした。俺達の思考は似通っていて、けれど、やはり些細な箇所で食い違ったりもしたものだから、夜通し議論を交わした事もある。
一回り年上で、曲がりなりにもファミリーのボスを名乗っていた彼は、同年代の友人からは得難い思考やウィットの類も勿論持ち合わせていて、俺は彼と話している時間が純粋に好きだった。
そして、その"雑多"の中には凡そ哲学と呼び得るようなものも含まれていたので、時には"永遠"の存在の是非を問いあう事もあったのだ。


「俺が思うに、」

その一言から始まった長い話を整理すると、どうやらディーノはそれを肯定しているらしかったので、「結局、信じてんのか?」と問えば、「そこそこには、な」という、肯定と取るには些か心許無い言葉が返ってきた。

「そこそこ、てなんだよ」
「まぁ、物事に"絶対"は無いわけだし」

あ、でも、そうなると"絶対は無い"ていう定義が絶対じゃない場合だってあるか、と彼は笑い、難しいな、と少し眉を寄せた。
こういう時にそんな顔をしてみせるのは彼のパフォーマンスの一環だ。俺を置き去りにしないために、彼はそうする。まるきり大人だ。それが少し悔しく、けれど、何処と無く嬉しい。
ほんの少しの間、考え込むように顎を人差し指で突付き回していたディーノは、「とにかく、」と声を改めた。

「在るには在るだろうな。物質として残るのは無理だとしても」
「永遠が?」
「そう、永遠が」

腐って土になっちまっても、其処でだけは形が残ってて、綺麗な色が付いたりするんだ。
そう言って、彼の糖蜜色の瞳は細められた。眩しいものを見るようで、それは、その時の俺にはまだ幾らも見えない物だった。
物事は過ぎ去るものだ。何も留まらない。彼と過ごす事の歓びも、別れに感じる微かな痛みも。
彼に言う事こそしなかったが、それを味わう度に「早く過ぎ去ってしまえばいい」と思っている俺は、結局は"永遠"を信じるに足るものだと認識する事は出来なかった。


話はそこで終わってしまう筈だったのだ。
その議題で討議すべき人間は三年程前に土くれになってしまっていたし、なにより、俺の中では終わっていた話だった。その筈だった。
けれど、眼前を横切る見知らぬ男(或いは、女)のブロンドの、陽光を透かした輝きにぎくりとする。
まるで似ていない声の、屈託の無い笑いに無意識に耳を傾けている。
路地や広場や、或いは俺の部屋の窓辺に、彼が立っているのではないかと思っている。
消えてしまった筈のものが、いまだ密やかに息をしているのだ。
そういう時には決まって、「綺麗な色が付いたりするんだ」と、穏やかに言う声が耳の奥へ満ちた。
腐って土になってしまっても残るものが在るのだ、と。

(ああ、でも、ディーノ。俺は今だって、永遠なんてものは信じていない。この身体の内側に降りしきる在りし日の残像、其処へ遺された想いをそう呼ぶのなら、それはいつか俺とともに消え去ってしまう仮初の永遠だから)

恒久的非恒久論

2007.8.5   上 (※D59祭 ANODYNE 掲載) au.舞流紆























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