決して、安くはなかった。
それが俺の総てというわけではなかったにせよ、確実に不可欠な事項であったし、俺を俺たらしめるものでもあった。
安くはなかった、決して。
(それでも自ら選び決め棄てたのだ、何処に怒る要素があるだろう、悔いる事、憎しみが、)


鏡の奥から此方を見返す碧の瞳は一つしかなく、ティエリアは、彼はそれを視界へ納めたくないがゆえに、俺の首に腕をまわしてしがみ付いていた(彼自身がそう言ったのだ、まだ逃げようとする自分を哂ってくれ、そしてどうか赦さないでくれ、と)。
きつく抱き締めた身体の、その繊細にして厚かましいほどの温かなしなやかさが、掌に沁みる。大きな対価を支払わせ、なおも貪り尽くそうとする淡い熱、謂わば"敵"、若しくは"家"、或いは"聖書の一頁"。それもまた俺を俺たらしめるというのなら、俺は一体何を失って、何処まで"俺"でない者に近づいたのだろうか。

「ロックオン、」

ティエリアは呟いた。閉塞に到る残響だった。ひたひたと耳や髪の先を濡らす雫、僅かな息遣いは只管に震え、それでいて、総ては傲慢だった。
巡礼者のように、彼の石膏の首筋へ口付ける。彼は俺の右目を見て、哀しい溜め息を漏らし、同じ様に首筋へ口付けを寄越してきた。恐らくは、殉教者の情動を以てして。

欠如はまさしく、"悲劇"と言って好かった。

トラジェディア

2008.4.26   上 au.舞流紆



























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