大きな街の喧騒の中にあって、フラットでの日常はたいへん静かなものでしたが、今日はどうやら少し違っているようです。
その踏み磨かれた木の床を、二足の靴がコトコトと忙しなく動き回っています。
革でできたねずみ色の靴と、エナメルの真っ黒な靴です。

「なあ、一枚だけ!一枚だけでいいから!」
「嫌だよ」

後ろをくっついてきて、しつこくしつこく頼み込んでくるライルさんに、リジェネさんはぴしゃりと言い返しました。
その手には目を通しておかなくてはいけない書類があるのですが、いつもならソファやら椅子やらに腰を落ち着けている筈の身体の下半分は、フラットの中をぐるぐると歩き回っています。
何故って、ポラロイドカメラを持ったライルさんがしつこくしつこく追い回してきて、隙あらばシャッターチャンスを手に入れようとしているからです。
つまり、ライルさんはリジェネさんのお写真が撮りたくて、けれども、リジェネさんはそれを嫌がって逃げているのでした。

「一枚くらい撮らせてくれたっていいだろ。何が嫌なんだよ」

追い掛け回しながら唸ったライルさんに、逃げ回るのをやめないリジェネさんは言います。

「理由がろくでもなさすぎる。人に見せび、」

見せびらかしたいだなんて、と続く予定だった言葉は尻切れトンボになって、その代わりに、カシャ、という音がしました。
咄嗟に書類で顔を隠したリジェネさんの目の前で、吸血鬼の驚異的な身体能力を無駄に生かしてベストポジションへ瞬時に移動したライルさんが、わくわくしながらカメラの、そのお写真が出てくるところを覗き込んでいます。
ややあって、ジー、という音と一緒にお写真が出てきました。
けれども、そのお写真は全面が書類の色(ところにより、印刷された文字が若干透けて見えています)でしたので、ライルさんは舌打ちをして悔しがり、リジェネさんは浅く溜め息を吐くのでした。
全く油断も隙もあったものじゃない、そんな風に思っているのです。



ライルさんが街灯点燈夫として働き始めて暫くが経ち、当然といえば当然のように、彼には幾人かの同僚と呼べる人間ができました。
自分が吸血鬼だということは勿論隠していて、吸血鬼ハンターと一緒に暮らしているんだってこともおはなししてありますから、誰もライルさんが吸血鬼だとは知りませんし、思ってもみません。
まるきり普通の人間だと思っているのです。
そうなってくると、世間話なんかにも気軽に花が咲いたりします。
そして、其処でのもっぱらの話題はといえば、恋の悩みや惚気話、多少下品と言えなくもないものが殆どだったのでした(街灯点燈夫は男の人ばかりのお仕事なのです)。

なにしろもともとがあの吸血鬼文化の中で育ち、恋愛に関しては百戦錬磨のライルさんですから、そういった話題には事欠かないのですけれども、今の彼は生涯の伴侶を定めた身です。
なので、所帯を持っている幾人かの話尻に乗って遠慮なく、持ち得る限りのボキャブラリィを駆使して惚気話をしたところ、「そんなに綺麗な奥さんならいっぺん見てみたい」と口々に言われてしまいました。
しかも、それに対して「あいつ、俺より忙しいから」とお断りをすると、「じゃあ、写真でもいい」と食い下がられてしまったものですから、ライルさんはこうしてリジェネさんを追い回しているのです(ライルさんはリジェネさんの性別に関しては全く触れなかったので、周りの人は「抜群に美人でちょっとおっかなくてでも可愛いところもある"奥さん"」という風に受け取ったようでした)。

リジェネさんはと言えば、事の次第を聞いて、なんだか過度の期待を持たれている様な気がしましたから、いよいよ恥ずかしくなって、これまでにライルさんが撮り貯めた自分のお写真をみんな隠してしまって、尚且つ、それ以上お写真を撮られないようにと逃げ回っています(彼は物事の美醜には相当鈍感な性質で、自分の容姿が吸血鬼に対しては有効だという考えを持ちこそすれ、よもやそれが人間に対しても適応されるとは夢にも思っていません。ライルさんが常日頃からリジェネさんのことを美人だの綺麗だのと褒めそやすのも、彼が吸血鬼だからで、其処へさらに"痘痕も笑窪"の精神が加わってのものだと理解していましたから、そんな自分のお写真なんかを持って行っては、ライルさんが赤っ恥をかくに決まっていると思っているのでした。ようするに、ライルさんのためを思っての抵抗ですが、それがライルさんに知れると余計な付け上がりを見せないとも限りませんから、それは秘密です)。



逃げ回ってばかりのリジェネさんを説得しようと、ライルさんは彼の後をくっついて歩き回りながら、あれこれと言葉を重ねます。

「見せびらかしてそれっきり、なんて扱いはしないからさ」
「じゃあ、どうするつもりなんだい?」
「え、あー…、ポケットに入れといて、仕事の合間にちょっと見てニヤニヤしたりするとか、」
「尚悪い」

心底呆れたといった風情で顔を顰めてみせるリジェネさんに、ライルさんはすかさず「顰めっ面も綺麗だ」と言ってカメラを向けるのですが、勿論、撮らせてくれる筈もありません。
すい、と顔を逸らされてしまった挙句、書類でガードされてしまったところを撮影してしまい、耳の端っこしか映らなかったお写真を見て、またしてもがっくりきています。




結局まともなお写真は一枚も撮らせて貰えず、ライルさんはリジェネさんの一部ばかりが映っているお写真を持っていって、「悪い。一応善戦したんだが、物凄い照れ屋なんだ」と頭を掻くしかなかったのですが、そのお写真の端々へ映っている手や耳、巻き毛を見た同僚のみなさんが「正直、綺麗っぽい雰囲気はあるけど、美人かどうかまではこれでは流石に判らない」と思い、「"わりかしキツイけど可愛い"とかいう発言の"可愛い"というのは、極度の照れ屋だという辺りのことを言っていたのか」と納得したのは、それなりに平和な結末だと言えるでしょう。

ライルさんとリジェネさんと
切れ端のお写真のおはなし


2009.7.18   上 au.舞流紆
ペラペラ本『へんてこ4人組と一冊の本』でフラットへやってきたポラロイドカメラのその後の使用例、
(ライリジェ編ももっとこういう明るい文を増やした方がいいのだろか、どうだろか、どうですか?)































SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送