大聖堂のある大きな街からうんと北、冬には埋もれてしまいそうなほどに雪が積もる地域の森の奥に、リジェネさんはいました。
近くには夥しい数の薬莢、そして、たくさんの灰が散っています。
地面へは真っ赤な血と真っ黒な血とが、それぞれに澱み溜まっています。
リジェネさんは純血種の吸血鬼をやっつけるお仕事をしにきていて、それを終えたところなのでした。
けれども、いつもならさっさと街へ戻っていく筈のリジェネさんは、今日は木の幹にぐったりと身体を凭せ掛けたまま、浅く息をしています。
その肩から胸、お腹にかけての服が裂けて、べったりと真っ赤に染まっています。
服や肌を伝った血は、地べたにまで沁み込んでいました。
リジェネさんは、怪我をしていたのです。


これは最近のこと(もう少し正確に言うと、リジェネさんがライルさんと一緒にいたいと思い始めた頃から)ですが、リジェネさんはお仕事中に怪我をすることが多くなってきていました。
いいえ、怪我自体は減っている、と考えてもいいのかもしれません。
どういうことかといいますと、大きな怪我が減った代わりに、小さな怪我が増えた、ということです。
これまでのリジェネさんは、腕が千切れようが、脚を吹き飛ばされようが、全く構わないで戦ってきました。
何故って、吸血鬼並の自己再生能力によって、千切れた腕や脚をくっ付けたり、致命傷にも等しい深い傷をあっという間に癒したりもできるからです。
でも、自己再生を行なうためには体中の細胞という細胞を活性化させる必要がありましたから、磨耗も早くなり、身体を早いサイクルで取り換える必要がありました。
身体を換える、ということ自体はわりと簡単ではありますが、今のリジェネさんにとっては一番忌避する出来事です。
身体を取り換えれば、今の身体で過ごした時間に溜め込んだ記憶を全て失ってしまいます。
ストラトス伯のことも、そして、ライルさんのこともです(リジェネさんを造ったヴェーダさんとお医者さん、塩基配列を同じくするティエリアさんのことだけは核になっている石に刷り込まれていて、それは施術の度に新しい身体へと移し変えられるものですから、忘れることはありません)。
リジェネさんはそれを怖れるばかりに、今迄のような無茶な戦い方をやめました。
やむをえない場合を除いて、自分の身体を物のように扱うのをやめました。
たとえそんな風に扱わなくてはならない場合でも、出来得る限りの範囲で最小限の損失に止めました。
自己再生能力を極力使わないで済むように心掛けたのです。
その結果、リジェネさんの怪我は目に見えて増えたのでした。


リジェネさんの震える指が、真っ赤に染まった服の胸を強く掴みます。

(治りが遅すぎる、)

吐き出した息もまた、震えていました。
吸血鬼に裂かれた肩から胸、お腹にかけての傷からは、じわじわと血が滲んできます。
普通の人間なら、とっくに死んでいるくらいの深手です。
その傷は、ゆっくりと、ゆっくりと塞がっていっていました。
意思の有る無しに関わらず発動する自己再生能力が使われているのです。
リジェネさんの自己再生能力は、このように無意識的に使われるものと、意識的に使うものとがあるのですが、無意識的に使われる再生能力には、深い傷を瞬間的に治せるほどの効力はありません。
カタツムリが葉っぱの上を這うような速度でしか、傷を癒せないのです。
ようするに、"気に留める必要のない掠り傷"専用の能力である、と言っても過言ではないのでした。
空を見上げると、夜明けが近いのでしょう、端っこの方が随分と白んできています。
もう此処を出発しないと、次のお仕事に間に合わなくなってしまいます。
それを考えたリジェネさんは、酷く物憂い顔をしました。
今迄にお仕事を遅らせたことなんて一度もありませんから、間に合わなければ、教会は不審に思って、リジェネさんの身辺を調べたりや何かをするかもしれません(一度きりの遅延ならば問題は無いでしょう。でも、一度すれば二度三度と繰り返すことにもなりかねません)。
そんなのは、駄目です。
リジェネさんの暮らしているフラットには、ライルさんがいるのです。
それだけでなく、時折ストラトス伯も訪ねてきたりします。
吸血鬼である二人が教会に見つかったら、どんな目に合わされるかわかったものではありません。
ただ撃たれて灰にされるだけならまだしも、悪くすると、対吸血鬼用の武器の的にでもされてしまうといったこともありえます。
二人に何かあれば、ティエリアさんが哀しむでしょう。
勿論、リジェネさんもです。
けれども、そんなことはお構い無しに、お腹の傷は相変わらずぐじぐじと血を垂らしています。
傷口の再生は進んでいますが、失血もまた進んでいます。
早く治してしまわなければ、命に関わるような事態になってしまうかもしれません(リジェネさんはお医者さんではありませんでしたが、そんな彼にもそうと判るほどの酷い怪我です)。

(これ以上は、)

焼け付くような痛みの中で、リジェネさんはきつく目を瞑りました。




数日後、帰り着いたフラットで、リジェネさんは僅かに笑いました。
ライルさんがまたポトフを焦がしていて、しかも、リジェネさんの顔を見ると、「ちょっと油断しただけだ」とばつが悪そうに言ったからです(その後ライルさんが呟いた「よりによって如何してトチった時に帰ってくるんだよ」という独り言は、もれなくリジェネさんに丸聞こえでした)。
大袈裟に肩を落としながら黒こげのポトフをお皿へ移しているライルさんの後姿を見て、リジェネさんはそっと息を吐くと、真っ黒なコートを脱ぎます。
その下の真っ黒に変色した服の、裂けた布地から覗く真っ白な肌には、傷は一つもありませんでした。

リジェネさんと真っ黒な服のおはなし

2009.7.14   上 au.舞流紆
最良の「折り合い」をつけて生きるとかいうこと、































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