ところで、ライルさんとリジェネさんが暮らしているフラットには、ベッドがありませんでした。 何故って、あってもあまり意味が無いからです。 凄腕の吸血鬼ハンターとして各地を飛び回っているリジェネさんは、そう頻繁にフラットに戻ることが出来ません。 よしんば戻ることができても、教会への報告書を作ったりなんていう雑多なお仕事が机の上にてんこもりになっているものですから、なかなか休めないのです。 しかも、困ったことにはリジェネさんの身体はあまり睡眠を取らなくてもなんとかやっていけてしまう仕様になっているので、余計に必要がないのでした。 そんなわけで、仮眠がとれる程度のものがあればいい、という考えのもとに、フラットにはベッドが無く、代わりにふかふかの高級なソファが置かれています(教会から貰ったお給料を使う暇が無いうえ、老後の心配も必要無いリジェネさんは、せめてそういったところくらいにはお金をかけようという主義でした)。 そして、時に強行スケジュールにもなるお仕事を終えた後のリジェネさんの楽しみといったら、そのふかふかの高級なソファでぐっすりと眠ることだったのです。 ところが、最近になって、それは脅かされつつありました。 明け方のフラットで、お仕事から帰ったばかりのリジェネさんは立ち尽くしています。 目の前には、例のソファがありました。 滑らかなマホガニーでできた優美な脚、金や銀の贅沢な刺繍があしらわれた絹の布地が、薄く曇ったような夜明けの空気に蒼く染まっています。 一国の王侯貴族の持ち物だと言っても十分に通用するソファは、極めて一般的なフラットではちょっと浮き気味です。 とはいえ、その光景自体はいつもと全く変わらず、けれども、いつもと違って、リジェネさんが睡眠を貪る筈のスペースには先客がいました。 リジェネさんの同居人をしている、吸血鬼のライルさんです。 ライルさんはリジェネさんが愛用しているクッションにしがみついて、ぐうぐう眠っています。 普段は揺り椅子へ腰掛けて、ゆらゆらしながら寝ている彼は、リジェネさんがなかなか帰ってこないのが寂しくって、その気配がなんとなく残っているような風情のソファで物思いに耽っているうちに眠ってしまったのでしょう。 時々クッションへもぞもぞと頭を埋めながら、むずがるような声を漏らしています。 ですから、 あまりの眠気に縺れる舌でのリジェネさんの呼びかけは、ライルさんには届きませんでした。 「ライル、…ライ、ル、」 ライルったら。 白いシャツの肩を掴んで、強く揺すったつもりでも、なんだか思うように指に力が入りません。 指先と布地が擦れて、かさかさと音がするだけです。 リジェネさんは思い切り顔を顰めると、よろりと脚をもたつかせ、そのまま床へ崩れました(本当だったら、ソファでむにゃむにゃ言っているライルさんを引っ叩くなり、引き摺り下ろすなりして寝床を獲得するのですが、それをする気にもならなかったのです)。 結局、リジェネさんはその場で横になると、自分の腕を枕にして寝入ってしまいました。 この数時間後、「ああ良く寝た」なんて言いながら伸びをしたライルさんが、まるで行き倒れのような格好で眠っているリジェネさんを発見して顔面蒼白になり、彼を丁寧にソファへ寝かせてやったり、顔についた泥を拭ってやったりとまめまめしく動き、後には顔の前で手を合わせて謝り倒したのは言うまでもありません(そして、この出来事こそが、フラットへソファベッドを齎すきっかけになったのでした)。 ライルさんとリジェネさんと ふかふかの高級なソファのおはなし 2009.6.16 上 au.舞流紆 「ソファ」と「ソファベッド」の表記があるのはこの事件の前か後かという時系列上の問題です、 (総集編第三巻でご存知のとおり、ソファベッドになってからはふたりは一緒に寝ています、) |
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