目を開けたリジェネさんは、それと同時に、ああ、またか、と思っていました。
見たことのある顔が、間近でリジェネさんを見下ろしています。
ヘイゼルのくるくる巻き毛に、トノサマバッタの足のような色をした目。
真っ黒なタキシードに、長い長いベロアのマント。
最近リジェネさんにとってもしつこく言い寄ってくる、吸血鬼のライルさんです(ライルさんはどういうわけかリジェネさんのことがだいすきなようで、毎晩毎晩このフラットやお仕事の出先へ尋ねてきては、リジェネさんを口説きに口説いているのです)。
ライルさんは、ベッド代わりのソファの脇へ上体を屈めて、珍しくお仕事がお休みで真夜中に就寝しているリジェネさんをじっと見下ろしていました。

「…不法侵入は立派な犯罪だって、36回くらい言わなかったかい?」
「36回じゃなくて、112回な」

俺が此処に来た回数くらい気に留めといてくれよ、傷付くだろ、と口を尖らせるライルさんに、リジェネさんはなんとも億劫そうに溜め息を吐くと、ソファの背凭れの方へ身体を向けます。
それはつまり、謂わば敵とも言えるライルさんに背中を向けることになるのですが、リジェネさんは一向に気にしません。
ライルさんの気持ちはもちろんのこと、自分の身の安全に関しても、です(前者はリジェネさんがライルさんに全く興味が無いからですが、後者については、ライルさんが純血種の吸血鬼だった場合、リジェネさんの血を吸おうものなら一瞬で灰になってしまいますし、純血種の吸血鬼でないなら、目を瞑っていたってやっつけることができるから、というのがその理由でした)。


ライルさんがリジェネさんのもとを訪れるようになってから季節は幾度も巡っていますが、リジェネさんはライルさんの時を選ばない訪問に慣れこそすれ、ライルさんに気を許すことはありません。
好きじゃないのなら、銀の銃でやっつけてしまえばいいじゃない、と思われる方もいるかもしれませんが、リジェネさんにはそれはできませんでした。
リジェネさんはお仕事以外のところで吸血鬼を撃つことを固く禁止されているものですから、威嚇射撃より先にはいけないのです。
もちろん、自分や周りの人間に命の危機が迫っているのなら、お仕事以外のところでも吸血鬼に対して銃を使うことができますが、ライルさんはリジェネさんの前では決して乱暴な振舞いをしませんでしたから、本当にお手上げ状態なのでした。


こういう時はさっさと寝てしまうに限る、と思ったリジェネさんは、けれども、閉じかけた視界に、にゅ、と突き出してきた手に顔を顰めます。
シルクの手袋がはめられたその手は、リジェネさんのシャツのボタンを手探りで幾つか外すと、その襟元を、ぐい、と強く引っ張りました。

「今度は何のつもりだい?」

面倒そうなのを押し隠そうともしないで、リジェネさんが尋ねると、ライルさんは「決まってるだろ」とだけ言いました。
そうして、剥き出しになったリジェネさんの首筋へ牙をたてます。
柔らかなヘイゼルの巻き毛が、リジェネさんの鼻先を掠めました。
その牙がちょっとでも肉を裂こうものなら、一瞬で灰にしてやろうと思って、リジェネさんは枕の下の銀の銃をそれとなく手に取ったのですが、ライルさんの様子はなんだか少し妙ちくりんです。
首筋へ何度か牙をたてては、其処を舐めたり、軽く吸ったりしています。
そうしながら、手でリジェネさんの髪をそっと撫でて、もう片方の手は、たくしあげたシャツの下にある、骨にちょっとだけ肉を付けたような具合の身体をまさぐっていました。
どうやら、そういう事、みたいです。
全く次から次へとおかしなことを、と思ったリジェネさんは、言いました。

「君たちのところではどうだか知らないけれど、人間社会では相手の同意を得ない一方的な交渉も犯罪だよ」
「え、本当か?」

じゃあどうやって付き合ったり、結婚したりするんだよ。
思わず顔をあげたライルさんは、目を丸くします。
それもその筈、享楽主義者の集団である吸血鬼社会は、そういった事にあまり厳しくありません。
結婚するにしても、夜会や覗き見で目星を付けた人のところへ出かけていって一晩過ごし、お互いに気に入れば、通ったり通われたりを繰り返してプロポーズに至るのが当たり前でしたから、夜這いはとっても一般的なアプローチの手法なのです。

「とりあえず、言葉からじゃないのかい」

なんとも投げやりに答えたリジェネさんは、もう瞼が半分閉じています。
早く寝たい、今すぐ寝たい、死ぬほど寝たい。
やっと貰えたお休みですから、リジェネさんの心境は、もはやそんな感じです。
酷いカルチャーショックを受けたライルさんは、「人間てほんとにつまらない生き方してるんだな、でもまあ、そうした方がいい、ていうんなら、」なんてことをぶつくさ言いながら、ぽりぽりと頭を掻いていましたが、すぐにリジェネさんの手を引っ掴むと、真剣な顔で言いました。

「一生大事にする、だから俺と生きてくれ」
「謹んで辞退させてもらうよ。それじゃあ、おやすみ」
「あっ、おい!」

わざわざ言わせといて、そりゃないだろ。
ライルさんはそう唸ったのですが、リジェネさんはもう夢の中です。
しん、としたフラットの中で立ち尽くしているライルさんは、正直、無理矢理にでも咬んでしまおうかとも思ったのですが、それをすると本当に嫌われてしまいそうでしたから、「ああもう、」と声をあげるだけにとどめます(もちろん、それでリジェネさんが目を覚ますこともありません)。
そうして、ソファの横の床へ座り込むと、リジェネさんをじっと眺めます。
先程引っ掴んだ白くて細い手は、握ったままです。



夜明けが近くなった頃、ライルさんはずっと握っていたリジェネさんの手へそっと鼻先を押し付けてから放し、フラットの窓を開けて、その木枠を、とん、とエナメルの靴の底で蹴りました。
いつもとおんなじように、タールのように真っ黒なフクロウに変身すると、自分のお城へ引き返してゆきます。
僅かに開いたままの窓は、じきにリジェネさんによって閉められ、きっとその晩もまた、ライルさんによって開かれるのでしょう。
古い金色の蝶番が、夜の風に、きい、と音をたてました。

ライルさんとリジェネさんと
フラットの112夜目のおはなし


2009.3.7   上 au.舞流紆
まだ一緒に暮らしていない頃のおはなし、訪問回数は「仕事先>>>>>>>>>>フラット」、
(ライルさんが111回のフラット訪問でリジェネさんに乗っからなかったのは、リジェネさんが忙しく動き回っていたからです、)






























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