リジェネさんがいなくなったあの雪の日から、百と幾つかの年月が経ちました。
リジェネさんと一緒に住んでいたフラットを引き払ったライルさんは、今はアイルランドのお城で暮らしています。
ストラトス伯が「よければ、一緒に暮らさないか」と言ってくれたのですが、それには丁寧に御礼を言って、お断りしました。
あの小さなあばら家に3人もの人数が暮らせるとは思えませんでしたし、なにより、ストラトス伯とティエリアさんのことを見ていると、なんだか辛い気持ちになってしまうのです。
ですから、ライルさんは広いお城にたった一人で暮らしています。



夜になり、ライルさんは目を覚ましました。
窓からは、青い月の光が差し込んでいて、空気は、ピン、と張り詰めています。
いつもと同じ夜でした。
ライルさんは浅い溜め息を吐くと、静かに起き出します。
髪を梳かして、身嗜みを整え、そうして支度を終えると、お庭へ出ます。
とある所へ行くのが、ライルさんの日課なのです。
踏み出した靴の下で、雪が、さく、と音をたてて、ライルさんはちょっとだけ眉毛を寄せました。
また少し、哀しくなってしまったからです。
けれども、幸せなような気もしていました。
地べたを覆った真っ白な雪に、月の光がきらきらと反射して、ライルさんの顔や真っ黒なマントに銀色の粒を投げかけています。


さて、そのような具合で、お城のお庭は一面の雪景色でしたが、これは本物の雪ではありません。
雪どころか、大きな門も石造りの壁もお城も、みんながみんな、質感を伴った幻です。
吸血鬼のお城というものは、えてして主である吸血鬼の精神世界を魔力によって具現化しているものでしたから、お城とお庭はそっくりそのまま、ライルさんの心象風景なのでした。
そして、この雪はライルさんがリジェネさんを亡くした日から、ずっと降り続いています。
昔の、月明かりにぼんやりと浮かび上がる、居心地の良さそうなお城の面影は、何処にも残っていません。
仄青く光りながら咲き零れていた薔薇もみんな枯れてしまって、棘を露わにした灰色の茨だけが残り、お城の壁や門に何重にも絡み付いています。
ここ百年の間、ライルさんの哀しみは深くなるばかりで、お城も閉ざされるばかりです。
そうなればそうなるほど、ライルさんは元気を無くしていって、けれども、自分がリジェネさんのことを忘れずにいることの証拠にもなったものですから、彼は僅かに幸福なのでした。


茨やお城には全く目もくれず、ライルさんは、お庭の隅のある一角へ向かいます。
其処は、ライルさんがこの寒々しいお城のうちで、唯一気に入っている場所です。
何故って、冷たい雪の降り頻る中でも、其処だけは、いつでも春の様相だからでした。
小さなお家が一軒立ちそうな広さの地べたへ、薄いピンクや青、黄色、そういった明るい色の小さな花が、たくさん咲いています。
お庭には木枯らしが引っ切り無しに吹いているのですが、其処には不思議と穏やかな風がそよいでいます。
そして、その花々の真ん中には、真っ白な石でできた、綺麗な天使の像がありました。
ゴシック様式の繊細で写実的な彫刻で、やや俯けられた顔の口許には、曖昧ですが、優しい微笑みがあります。
そのゆったりとした長い衣は、幾らか前方へ伸ばされた右腕や、一輪の百合を持って斜め下へ下ろされた左手の袖から、滑らかな曲線を描いて、裾と一緒に石段の上で幾らか折り畳まれ余っていました。
その像の足元へ蹲って、そっと目を閉じるのが、ライルさんの日課です。
そうしている時だけは、彼の心はほんの少し(本当にほんの少しだけでしたが)、安らかに微睡むことができたものですから。

半ば崩れ落ちる格好で座り込んだライルさん(リジェネさんがいなくなってからというもの、ライルさんは一度もお食事をしていませんでしたから、もう随分と弱っているのです)を、天使の像は、今日も優しく見下ろしています。
見下ろされているライルさんは、ポケットから小さな金色のロケットを大事そうに取り出すと、その蓋を開けて、其処に納めてある写真をぼんやりと眺めています。
碧色の目が、そっと細くなります。
しばらくそうした後、ライルさんはロケットの蓋を閉じて、目も閉じました。
天使の像の、長く垂れ下がった右袖の影へ、頭を凭せ掛けます。
瞼の裏側に見えるのは優しい思い出ばかりで、身体の中を満たすのは僅かの温かな気持ちと、たくさんの哀しみです。
もはやそれだけが、今のライルさんに残されたものでした。

「リジェネ、」

そう呟いたライルさんの声は、周りの真っ白な雪に吸われてしまいますが、それでも、ライルさんは呟きます。
聞く人はいません。
応えてくれる人もいません。
忘れずにいる、ただそのためだけに、ライルさんはひとりぼっちで呟くのです。
花の中で、天使の像だけが、優しく笑っています。
雪だけが、降り頻っています。



それからまた幾つかの年月が流れて、ライルさんは、静かに最後の呼吸を終えました。
主を失くしたお城は崩れるように消えてしまって、草野原の中には、一握りの灰と小さな金色のロケットだけが残りました。
ライルさんがリジェネさんと会えたかどうかは誰にもわかりませんが、一つだけ確かなことは、ライルさんは最後までずっとずっとリジェネさんと一緒にいて、そのお願い事を叶え続けたんだってことです。
そして、もしライルさんとリジェネさんが出会えているのなら、二人はもう、離れることなんてないのでしょう。



空からは、リジェネさんがいなくなったあの日とおんなじように雪が降って、一握りの灰と小さな金色のロケットとを、そっと覆い隠しました。
優しく、覆い隠しました。

ライルさんの最後の雪の日

2008.11.21   上 au.舞流紆
或る一つの結末の可能性、(しあわせ、て、なんなのでしょうね、)
作業用BGM:「純潔の雪」 by Asriel































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