ある日、あばら家のテーブルへ向かって一人で本を読んでいたティエリアさんは、一つの単語を凝視していました。
その単語はいわゆる専門用語というやつで、その意味を思い出すことが出来なかったからです。
ティエリアさんは、眉毛をちょっと寄せてます。
そのまま随分長いこと眺めていましたが、最終的に、ティエリアさんの手は冊子の束へと伸ばされました。
色んな人の研究結果が纏められた冊子には、その用語の意味するところもきちんと書かれていましたので、ひとまずは本を読み進めることが出来ます。
けれども、ティエリアさんの思考は、もうその本の上にはありませんでした。

(…そろそろ修理が必要か、)

ティエリアさんはそう思いながら、自分の掌を眺めています。
その言葉からも推察出来るように、ティエリアさんは、純粋な意味での"人間"ではありませんでした。


ティエリアさんの育て親であるヴェーダさんは、とても探究心の強い人間で、この世の全てを知りたいと願い、また、それを残そうとした人でした。
どうしてヴェーダさんがそう思っていたのかは、他の誰の知るところではありません。
ですが、ひとつだけ言えることには、その思いの深さはたいへんなものだった、ということです。
そして、そんな考えを持ったヴェーダさんは、自分の命が尽きる前に、とあるお医者さんに協力を仰いで、自らの意志を継ぐ存在を作り上げました。
そのうちの一個体が、ティエリアさんなのです。
「構造は人間と一緒、尚且つ、諸事の劣化速度が遅く、身体能力の増強や海馬に対して外部から干渉・操作することができる人工生命体」。
そんなコンセプトを掲げた、お医者さんとヴェーダさんによる共同開発の成果として、また、お薬に関するヴェーダさんの研究を継ぐ者としてティエリアさんが生まれたのは、もう100年以上も前のことです。
それ以来、ティエリアさんはヴェーダさんの意志を継いで、お薬の研究を続けてきました。
けれども、それにはやはり、"身体の修理"も伴ったのです。
いくら劣化速度が遅いとはいえ、物質である以上は劣化も磨耗も確実にするものですから、ティエリアさんは定期的に身体を検査、修理しなくてはいけないのでした。


ティエリアさんは本を置くと、紙と羽ペンを手に取って、お手紙を書き始めます。
宛て先は、今はもう地図にも載っていない村の名前で、宛名はありません。
その村に住んでいるのはたった一人でしたから、必要がないのです。
書かない宛名はもちろん、ヴェーダさんと共同してティエリアさんを作ったお医者さんの名前でした(まるきり人間であるヴェーダさんはもういませんが、そのお医者さんは人間とは違った時間の中に生きているものですから、いまだに健在なのです)。

"そろそろ修理が必要です"

たったそれだけを書くと、ティエリアさんはその手紙をきっちりと折りたたんで小さな封筒へ入れ、外へ出ました。
放し飼いにしている真っ白な鳩(名前は付けていません)を呼び寄せると、手紙を持たせます。
そうして、その鳩を空へ放しました。
軽い羽音をたてて、鳩は青空に吸い込まれてゆきます。
それは美しい光景でしたが、けれども、ティエリアさんはそれを目にすること無く、考え込んでいました。
身体を修理する、ということは、言うまでも無く、なかなか大掛かりなことです。
今までに蓄積した知識や記憶が欠落することこそ無く、ましてやお医者さんが失敗する事もありませんが、身体と神経とが完全に馴染んで本調子になるまでには、一週間もかかります。
ですから、一緒に生活しているストラトス伯には、たいへんな迷惑がかかるのです。
ところが、ティエリアさんは、自分が本当の意味での"人間"ではないんだってことを、ストラトス伯にはお話ししていないのでした。

(今晩にでも、)

そう思うティエリアさんは、けれども少し、もやもやしています。
ストラトス伯はティエリアさんのことを"全く普通の人間"だと思っているでしょうから、今になって本当のことをお話ししたら、どんな風に思うでしょう(実は、今迄にも幾度か話そうと思ったことはあったのですが、その度になんだかもやもやとした、おかしな気分になりましたし、その頃はまだ劣化の兆しもなかったものですから、後で後でと先延ばしにしてきてしまっていました)。
ティエリアさんはちょっと頭を下げて、溜め息なんてついてます。
そんな風にしていたところへ、ストラトス伯が帰ってきました。
手には、幾つかのカボチャを持っていましたから、どうやら家庭菜園兼薬草畑にいたようです。

「どうした?そんなところに突っ立って、」

吸血鬼と違って、人間は身体を冷やしたら病気になるんだろ。
ストラトス伯はそう言いながら、あばら家のドアを開けて、ティエリアさんに中へ戻るように促します。

(病原菌に対しては抗体があるから、病気にはならない)

ティエリアさんはそう思ったのですが、それを口に出すこともできないで、大人しくあばら家へ入りました。
なんだか元気が無いティエリアさんの様子を見て、ストラトス伯は、ちょっと首を傾げています。


ティエリアさんがストラトス伯に全部をお話しして、きちんと身体の修理を済ませるのは、もう少し、後のおはなしです。

ティエリアさんと
宛名の無いお手紙のおはなし


2008.12.27   上 au.舞流紆
ハロウィンパラレルその15、
いままであまりティエリアさんのことを書けなかった理由はこの文を出せずにいたからでした、































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