深い深い森の中に、一軒のあばら家があります。 蔦は這い放題、苔は生し放題、今にも崩れそうな小さなあばら家です。 けれども、その小屋には人が住んでいました。 名前を、ティエリア・アーデといいます。 白い肌に赤い瞳、葡萄色の髪、丸い眼鏡にだぼだぼの古いローブ、頭にはとんがり帽子。 ティエリアさんは、魔法使い、と呼ばれていました。 魔法使い、といいましても、それは森の外に住む人々が勝手につけたあだ名のようなものでして、基本的には人間とそれほど変わりません。 血がたくさん出れば死んでしまいますし、杖を一振りしても、空気が少し攪拌されるだけです。 何ができるのかといいますと、よく効く除草剤や傷薬、ナメクジ避けのお薬を作ったり、悪さをする幽霊や怪物なんかを追っ払ったり、そんなような事が少しできるだけでした。 ただ、ティエリアさんは何事も完璧にこなさないと気がすまない性質でしたので、やる事成す事のどれもこれもが完璧パーフェクトだったのです。 ゆえに、「魔法使い」でした。 さて、そんなティエリアさんには同居人がいます。 ロックオン・ストラトス伯です。 伯、ですから、一応身分は伯爵様ですが、そんなストラトス伯は、まるっきりパンピーのティエリアさんのお家で、家政夫さんをしています。 炊事に洗濯、掃除、薬の材料の調達やゴミ棄てもストラトス伯の役目です(つい先日などは壊れた屋根の修繕もしました)。 此処だけの話、ストラトス伯の正体は実は吸血鬼です。 人間の血を頂いて生きている、ようは、人間の天敵のような種族です。 そんなストラトス伯と魔法使いのティエリアさんが如何して一緒に暮らしているかといいますと、それには色々と事情がありました。 掻い摘んでお話しますと、お食事のために近くの村を襲ったストラトス伯を、ティエリアさんがボッコボコにしたのが事の起こりです。 ティエリアさんに魔力の殆どを封印されてしまったストラトス伯は、アイルランドに構えたお城には戻れません。 けれども、魔力が無いとはいえ吸血鬼です、縮み上がっている村の人たちが「吸血鬼が悪さをしないように監視してほしい」とティエリアさんに頼んだので、この奇妙な同居生活が始まりました。 当初のティエリアさんは、内心では「こんな筈ではなかった、」と思っていました(何故って、ティエリアさんの立てていた綿密な計画上では、ストラトス伯はとっくにこの世から消えている予定だったのです。けれども、流石は"伯爵"とでもいうべきでしょうか、ティエリアさんの力をもってしてもせいぜい魔力を封じるのが限度でした。ティエリアさんはこの失態を苦々しく思っていて、それで、ストラトス伯の身柄を引き受けたのです。ティエリアさんは、何事にも完璧パーフェクトでありたかったので)。 一方のストラトス伯はというと、この同居生活をエンジョイする気満々でした(異国を旅する人のように毎日が目新しく、新鮮でしたし、ストラトス伯は"人間"という生き物の知識を得る事にやぶさかではありませんでした。もう少し付け加えると、ストラトス伯はティエリアさんの事をとても気に入っていて、失った魔力に関してはあまり未練がなく、むしろ有り難いと思っているくらいです。ストラトス伯は好戦的で高慢ちきで懐古主義な吸血鬼一族の中でも、とりわけ穏健で人間に歩み寄りたいと思っているような、ちょっと風変わりな吸血鬼でした)。 今日も黴っぽい本を読み耽っているティエリアさんの後ろで、ストラトス伯は床にモップをかけています。 鼻歌交じりの主夫気取りです。 初めこそ危なっかしい手つきで家事をしていたストラトス伯ですが、今では達人級で、大変動き辛い真っ黒のタキシードに長い長いベロアのマント、エナメルの靴も全く障害にはなりません。 人間の生活様式に触れてみたい、と常々思っていたストラトス伯にとって幸いな事には、家事は彼の性にとても合っていました。 完璧主義のティエリアさんは、ただ一つ自分の生活面の事に関してはわりと、いいえ、とてもずぼらで無頓着な人間でしたから、ストラトス伯があれこれするのには口を出しません。 初めこそ警戒心剥き出しでしたが(なにしろテーブルに飾られた花を呪いの道具だと思ったくらいでした)、今では、ものすごく頭がおかしくてとてもお節介な吸血鬼だ、と思っているだけです。 ストラトス伯は床をキュッキュしながら、夕飯の献立についてお伺いをたてます。 「ティエリア、夕飯は何が食いたい?」 「ペペロンチーノ」 「そりゃあいい、そうしよう」 顔も上げずに答えたティエリアさんに、ストラトス伯はにっこりしました。 最近のストラトス伯は、にんにくの素晴らしさに目覚めていたからです。 魔力と酷く反発するために今まで苦手にしていたにんにくですが、ティエリアさんに魔力を封じられてからというもの、反発もぐっと少なくなったので、今やにんにくはストラトス伯のバイタリティを支えるものの一つとして立派に確立していました。 そうと決まれば、とばかりに、モップがけの速度があがります。 モップがけが終わったら、昨日やろうと思っていて出来なかった繕い物の続きが待っています。 ティエリアさんは本の世界に浸りっきりで、結局、テーブルの上でペペロンチーノが湯気を立てても顔をあげませんでしたが、いつもの事でしたから、ストラトス伯はあまり気にしません。 抱えこんだ大きな本に熱中したままで椅子に腰掛け、皿の上とはまるで見当違いの場所へフォークを突き刺すティエリアさんを、笑って眺めています。 深い深い森の中、小さなあばら家に住む、ちょっと変わった二人のおはなしです。 ストラトス伯とティエリアさん 2008.4.6 上 2008.4.9 加筆修正 アニメディアのハロウィンコスプレを元ネタに(しかし、ストラトス伯が壮絶に庶民派な件、) |
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